栃木からのヤマノボリ日記

登山記録とやったこと、考えたこと

栃木県謎解き散歩

日光東照宮足利学校中禅寺湖からしもつかれ、ギョーザ、プロスポーツまで『下野国』の魅力がよくわかる!」というのが副題の本デス。

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ボクにとって耳新しかったことを記録。


■餃子の街誕生秘話

・宇都宮は大きな街であるがいまひとつ特徴が無かった。唯一の観光スポットの大谷町(「大谷石」の産地)は、平成元年に採掘トンネルの陥没事故が発生し集客が見込めなくなり、市の観光担当者は困り果てた。

・平成2年の市の職員研修で、一職員が統計資料を見て「餃子の消費量が日本一だからこれで町興しをしたら」と提言した。それを聴いていた観光課の係長は俄然闘志を燃やした。

・しかし「オシャレでない」「ニンニクの臭いがあるので無理」「県都の食べ物としてふさわしくない」など反対ばかりだった。

・しかし係長は中華料理飲食業協同組合の会員名簿をもとに餃子店紹介のリーフレットを作り配りは始めた。

・餃子店自身からも「何を寝ぼけているんだ。餃子で町興しができるはずがあんめぇ。」との反対される始末。

・しかし係長の熱意に負けて「みんみん」社長など5人の餃子店主が集まりほそぼそとプロジェクトを進めていった。

・平成5年、旗揚げイベントとして夏祭り会場で餃子大食い大会を開催した。今では餃子で集客できるが、当時は人の集まるところに餃子を持って行こうという発想だった。

・そんな折、当時の人気テレビ番組「おまかせ!山田商会」が市内の高校の学園祭応援企画を放送することになった。係長はロケハンに訪れたプロデューサーを延々と餃子店に連れ歩き口説いた。予想外の展開にプロデューサーは頭を抱えたが、意を決し餃子の街宇都宮企画を練り上げた。

・内容は①餃子ソングの作成②餃子像の作成③餃子グッズの作成④冷めてもおいしい餃子弁当の作成など盛りだくさんであった。

・このTV番組により宇都宮は餃子の街として全国的に有名になった。


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■明治のゴールドラッシュ~奥日光西沢金山

・江戸末期、日光連山のひとつ太郎山の北側、標高1500mの地を「金が採れる」との昔からの言い伝えに基づき探鉱したところ金鉱脈が発見された。が、場所は日光山の神領であったため商業的な採掘には至らなかった。

・明治中期、有志が国の許可を得て採掘が開始され、最盛期には労働者600人、家族を含め1300人達する鉱山の街が形成され会社は莫大な利益を挙げた。

・昭和47年には鉱脈が枯れたため廃坑となった。


昭和47年まで、あんな山奥で採掘が行われたなんて初耳でした。


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