栃木からのヤマノボリ日記

登山記録とやったこと、考えたこと

杉浦日向子の手相

最近、杉浦日向子の本ばかり読んでいる。


最初は「そば屋で憩う」という本を読んで、その文章の歯切れの良さにびっくりしたからだ。

こんな生き生きとして小気味の良い文章は初めて読んだ。


杉浦さんといえば、やはりNHKの番組「お江戸でござる」の「江戸風俗研究家」で有名になった。

もとは漫画家であるが、34歳にして隠居する、と宣言した。

ここまでは知っていたが、なぜ34歳で隠居なのか?がわからなかった。


その辺りの事情を書いた文章を『呑呑草子』(のんのんそうし)で見つけたので、備忘として書いておく。


まず、隠居とは何か?


一、働かない

一、食わない

一、属さない  だと言う。


働かないのは隠居だから当然。

そして、食わないのが理想だがそれでは生きていけないから、生きるために少しばかり食う。

その分だけ少しばかり働く。けっして蓄財しようとかゼイタクしようとかは思わない。

また面倒なしがらみから逃れるために組織に属さない。


このため杉浦さんは34歳で漫画家をやめて、無職となった。

働きたくないけれど、食うために少しばかり働く、そのために江戸風俗研究家という肩書きでゆるゆる暮らすようにした。というわけ。

では、なぜ34歳と言う若さでで隠居したのか?


以下、杉浦さんの本を写す。

(「わし」というのは杉浦さんのこと)


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「巻の十八 隠居志願」 より


 わしのてのひらの生命線は、生まれつき、とても短い。

左右とも、てにひらの真ん中のくぼみ辺りで、すっと消えてなくなる、おまけに、テの形のシワは、三本みな薄くて鎖状だ。家族や友人のシワは、誰のを見ても、クッキリ筋の通った長いシワを刻んでいる。


 たかが、手のシワ。


 年末になると、熊野那智大社の暦が家に届く。これは、父が熊野権現を信奉しているからで、実家には今も届く。

 暦の後ろの頁に、人相、手相、夢占いの、ミニ八卦コーナーがある。短命手相の見本に「線薄く切れ切れ或いは鎖状かつ生命線短し」とあり、暮れ毎にソレを確認した。

 普段は忘れている。


 (中略)


ジャズ喫茶へ通い、半年たった時分、いつも、店の隅にいたオバン(ママ・キャス)が手招きする。

 (中略)

「どら、手エ見してごらん」

手相とサトったから、逃げに入る。

「あの、いいんです。どうせ」

テーブル下へ避難せんとす。

 (中略)

キャンドルの下で、わしのてのひらを造作もなくおしひろげ、左右とも見て、ポンと軽くはたき、三重あごでうなずくから

「生命線短いでしょ」

と先制する。

「ホント、ウソみたい短いネ」

「笑っちゃうでしょ」

「そだね。ま、三十四ってとこね。気楽におやんなさい」

大きなお世話だ。とっくに気楽に生きてらぁ。


ジャズ喫茶は、いつしかカラオケ・ルームとなり、わしは二十歳で禁煙し、そして三十四になった。

手のシワはやっぱり短く薄い。

ママ・キャスに言われなくっても。三十四を隠居の年と決めていた。

それは十七の時、あと折り返し十七年シャバにいられれば存分、と思ったからだ。

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杉浦さんは、実際には47歳で亡くなった。

34歳からは13年生きたけれど、34歳までを精一杯生きて、これから先はオマケだ、と区切りをつけたのだろうか。

なんだか、非常に悲しくなってしまった。


でも、杉浦さんの文はこう続いている。


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「隠居になる」とは「手ぶらの人になること」と思う。「手ぶら」は、持たない、抱えない。背負わないだが、ポケットには小銭はじゃらじゃら入っているし、煩悩なら鐘を割る程胸にある。

だから、抹香臭い「無一物」やら「清貧」とは、まるで違う。世俗の空気を離れず「濁貧」に遊ぶのが隠居の余生だ。

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強いね、杉浦さん。

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