栃木からのヤマノボリ日記

登山記録とやったこと、考えたこと

2010_0919 男体山(日光市)まとめ

日光の男体山に行ってきました。


yamanoborist


お天気も良く、頂上からの眺めも(半分だけ)サイコーでした。


yamanoborist


ただし、今まででイチバン疲れた。

それと、イチバン人が多かった。

さらに、イチバン書くことがない。


yamanoborist



とりあえず、まとめページを最初にアップ。

以下、順次リリース予定。


■2010_0919 男体山 へのリンク

まとめ→★  (このページ)

その1→★

その2→★

その3→★

番外編→★


男体山とは wikipediaより転載→★

●特徴
 日光市街地からいろは坂を登った、中禅寺湖の北岸に位置する。関東地方有数の高山であり、成層火山らしい円錐形の大きな山体は関東一円からよく望まれる。古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮がある。また、一等三角点「男体山」(標高2,484.2m)が設置されている。
 従来、最後の噴火は約14,000年前だとされていたが、山頂の噴出物の調査により約7,000年前の噴火が正式に確認され、活火山に分類される可能性が出てきている[1]。中禅寺湖、戦場ヶ原、小田代原は、この約7,000年前の男体山噴火により湯川が堰き止められてできたもので、流出口には日本三大瀑布として知られる華厳滝や竜頭滝などがある。

●山名
 男体山という山名は、東北側の山続きの女峰山との対で付けられたものと考えられる。男女一対の山には、雄岳と雌岳を有する奈良の二上山男体山と女体山が並立する筑波山など多くの例があるが、男体山と女峰山は、間に大真名子山、小真名子山という二つの「愛子(まなご)」を抱え、また男体山の北西側には太郎山を擁し、火山一家を成しているところが特徴的である。

●初登頂
 男体山の初登頂は782(天応2)年に僧勝道上人によって成し遂げられた。この登山については僧空海の記した『性霊集』に詳細が述べられている。この時期の初登頂記録としては最も実証性があるものといわれる。
 勝道は、「われもし山頂にいたらざれば、菩提にいたらず」、つまり山頂に達することが自分の悟りを開くと考え、前人未到男体山への登頂を志した。また、釈迦が雪山で苦行をしたという前例から、あえて残雪期の登山を選んだ。勝道の登頂初挑戦は767(神護景雲1)年4月上旬であったが、嵐にあって撤退を余儀なくされた。2回目は781(天応1)年4月上旬、またしても悪天候により失敗した。そして翌年782(天応2)年3月、48歳の勝道は今回こそはと意を決し、中禅寺湖畔で経を読むこと7日間、頂上へ踏み出した。湖畔から山頂まで1,200mの急坂、木々を掻き分け、残雪を踏み、途中2泊の野営を重ね、ついにその宿願を果たした。

●登山
 登山口となっている日光二荒山神社中宮祠の登拝門。鳥居とその奥にある朱塗りの登拝門を潜った先には、山頂へと向かう階段が続いている。登りが4時間、下りが3時間。中宮祠までは、東武日光駅から東武バスが出ている。バスの所要時間は53分。中宮祠の場所は、日光二荒山神社本社とは異なる場所にある。
 中宮祠と男体山頂上の間には、1合目に遙拝所、4合目に石鳥居、8合目に滝尾神社、山頂に日光二荒山神社奥宮と太郎山神社、および二荒山大神像がある。3合目と4合目の間は30分ほど車道を歩く。


■ルート概要

標高差1,243m

累積標高 1,302m

距離 10.4km

沿面距離 11.0km


■ルート

 4:51 自宅出発

 6:34 登山開始(日光二荒山神社中宮祠)

 9:34 男体山

  【上り所要時間 3:22】

10:48 男体山頂出発

13:15 下山終了

  【下り所要時間 2:27】

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■キケン箇所

 なし。